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バンクシーと登戸

バンクシーと登戸

神奈川の川崎市登戸で起きた事件の現場には、今も少しだけ手向けられた花が残り、フェンスに掛かった掲示板には、この場所にあった他の多くの花はカリタス学園に届けられたという旨の言葉がある。

事件当時は建設途中だった現場前の建物はほとんど完成し、止まったままの時間と、進んでいる時間が交錯していた。

現場付近を歩いていたら、裏通りの柱に、ふとバンクシーのような絵を見つけた。東京でのバンクシー騒動以来、全国で彼の作風を模した絵が増えているのだろうか。

バンクシーは、芸術の力を使って世界をほんの少し優しいものにする。ロンドンを中心に活動し、未だ正体は不明。

世界のあらゆる場所にふいに現れ、絵を描き、誰にも知られず去っていく。

バンクシーについてそれほど多くを知っているわけではないが、イギリスに留学していた友人からお土産でもらった画集を一つだけ持っている。

バンクシーは、たとえば火炎瓶を投げようとする少年の絵を描き、その少年の手に花束を持たせるなど、平和への想いを絵に込める。

作品に強いメッセージ性を込めるアーティストなので、東京で見つかった“バンクシーの作品”(カバンらしきものを持って黒い傘を差したネズミの絵)が、もし仮に本物なら、一体どんなメッセージが込められていたのだろう。

東京で描かれたことに、果たして意味があるのだろうか。絵そのもの以上に、ほんとうはそれが大事なのだと思う。

ちなみに、この登戸にあったバンクシー風の絵の一つには、英語で文字が添えられていた。バンクシーの絵にも赤字で添えられる作品があるので、その影響なのかもしれない。

WHY PILLAR HERE?(なぜここに柱?)

柱の影で、血のついた鎌のような刃物を持ったネズミのような生き物が隠れている。柱の影から狙っている、といった意味合いなのだろうか。

どのタイミングで描かれた絵なのかは分からないが、もし事件後だとすれば、正直ちょっと悪趣味な気がする。

2019.7.12

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都会のイオンは小さい?

よく「田舎の蟻は大きい」と言われる。蟻だけでなく、植物も含めて自然界の生き物は、山などに行くとずいぶんと大きいことに驚かされる。

同じように、田舎のイオンも大きい。その地域一帯を制圧するくらいに巨大化している。

最近、実家の母が、父の仕事の関係で少しだけ東京暮らしをすることになった。

母は、初めての東京暮らしというわけではないが、前回東京で生活したのはもう遠い過去の話で、僕が生まれるよりもさらに以前のことだ。東京もすっかり姿形を変えた。

久々に東京に住んだ母は、都会の街が不安だと言い、まずは徐々に慣らしていく作戦をとった。

とりあえずイオンに行く、と母は得意げに言った。

地元でよく買い物をしていた場所なら安心するらしく、「ホームだからね」と笑った。

しかし、スマホの地図を頼りに、最寄駅から一番近くにあるイオンに行って母は驚愕したと言う。

イオンが小さい……!?

確かに、言われてみれば都会には巨大な「イオンモール」はないし、イオンのスーパーよりも、さらにもう一段階小さいコンビニのような謎のイオンも見たことがある気がする。

思っていたイオンと違った母は、結局ケーヨーD2でほっと一息ついたようだ。

2019.3.20

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自転車酔い

子供の頃から乗り物酔いがひどかった。車、電車、船、どんな乗り物でも車中で具合が悪くなる。

窓の外の遠くの風景を眺めることから乗り物酔いのツボを刺激することまで、様々な対策を試しながら耐え忍んだ。

きっと体質もあるのだと思う。残念ながら、大人になったからと言って乗り物酔いが平気になることはなく、むしろ悪化したくらいだった。

疲労やストレスで調子が悪いときは、自転車でも酔う。めまぐるしい景色の移り変わりに、「自転車酔い」をする。自転車酔いという言葉があるかどうか知らないが、苦しくて乗っていられなくなる(降りると徐々に落ち着いてくる)。

もともと低血圧など体調も崩しやすく、その上で景色や視線の角度も変化するので、体が対応できないのだと思う。

高所恐怖症も、昔から変わらない性質として克服できずにいる。

ジェットコースターも乗ったことがないし、観覧車も数える程だ。そもそも閉所も苦手なので、観覧車はロマンチックな空間というよりも、天上の牢獄に近く、数回乗ったことがあるが、じっとうつむいて座り、早く終われ、早く終われ、と願っていた。

高所恐怖症も、消えるどころか大人になって悪化した。

高所恐怖症と言うと、高い場所から下を見ることで恐怖を覚え、めまいや不安感に襲われる、というのが一般的だと思う。

もちろん、高い場所から下を覗くときがもっとも恐ろしい。一方で、高所から地上を見るときだけでなく、単純に高所に立っているだけでもぐらっと来たり、また下から高い建物を見上げるときにも似たような症状が起きることがある。

たとえば、大きな橋を渡っているときも、川面を覗かずにただ渡っているだけでも、パニックになるほどではないがぐわんと足がすくむ。

もっと極端な話をすると、新しい靴を履くだけでもめまいがする。

普段の擦り切れた底の靴から、新品の靴になることで「高さ」が変わる。そのことにすぐに対応できないのだと思う。新しい靴にして、慣れるまで数日はざわざわする。

高所恐怖症には、たぶん二つの要因がある。一つは、高所から落ちた際のことを想像する恐怖感や不安感が人一倍強いこと。もう一つは、いつもと若干「足場」が違うことに対する対応力が弱っているということが挙げられる。

自転車酔いにしても、新しい靴の「高所恐怖症」にしても、普段と自分の立っている位置がわずかに変化しながら歩み出すので、世界に正しく対応できなくなる。

これは、気圧の変化に敏感なことと似ているのかもしれない。

その不安定な状態で「下を覗く」ことでいっそう精神も動揺しやすく、恐怖感や不安感も増すのだと思う。

2019.2.14

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あっという間の二月

二月は「逃げる」、あっという間に過ぎる、とよく言われる。

二月があっという間な理由は、二月の日数が少ないというのもあるが、もう一つ、一月の余韻だから、というのもあると思う。

年末から年越しへの怒涛の日々から、ふっと気が緩んだ二月。

気づくと次々に時間が去っていく。もう七日が経った(今は七日の夜で、日付がさっき八日になった)。明らかに一月の最初の七日より、あっという間だった。

時間が立つのが早いときは、つまらないことでも言葉にしておかないと不安になる。

2019.2.7

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