冬に考える、寂しいと寒いの語源

冬に考える、寂しいと寒いの語源

秋冬というのは、妙に寂しくなる季節。夜の冷たい空気が、心の奥底にある寂しい思いに触れるような気がする。

この寂しい、淋しい、という言葉は、もしかしたら、寒い、という言葉と語源的にも同じなのではないか、と思う。

さみしい、という音と、さむい、という音。さびしい、という音と、さぶい、という音。

調べてみると、「寂しい」の「さび」というのは、「ぶ」が語源とのこと。これは、心が荒れすさぶ、勢いが衰える、古くなる、といった意味のようだ。

寒いというのも、古典では「さむし」「さぶし」で、語源は同じとのこと。

ただ、さぶし、というのが、どのような意味の変遷を伴って「荒ぶ」から変化していったのかはわからない。

しかし、たとえば、お金がないことを、懐が寂しいとも、懐が寒いとも言うように、両者はニュアンスも共通している。

古文の「さぶし」の意味は、「本来あるはずのものが欠けていて、気持ちが満たされない。心楽しくない。さびしい。」とある。

この「本来あるはずのものが欠けている」という感覚が、冬のうら寂しい光景を見ても生じたのか。あるいは、冬という季節が、「荒ぶ」のなかの「衰えていく」「古くなる」という風に捉えられ、「寒し」になっていったのだろうか。

それとも、寒さというのが、より身体的、感覚的に、人肌恋しいような、もうひとりの存在を求めていることから来ているのだろうか。

最後に、歌人の斎藤茂吉の「さぶし」論の一節で、万葉集時代のさぶしという表現について書いている部分を追記する。

有るべき物の無い、共にいるべきもののいない、一たびいた者が去った、従って独のみ居るという、充実せられぬ、空虚感から来る、一種特有な沁々とした不快を伴う消極的感情をあらわすのに、サブシという語を用いているようである。それであるから、サブシという感情は、いかにも身体(肉体)に即して居り、覚官的であり、常に、対者を予想し、対者の肉体をも予想しているように思える。従って、万葉集のサブシは、覚官的にして切実である。

出典 : 斎藤茂吉『「さびし」の伝統』

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