寂しがり屋の一人好き

寂しがり屋の一人好き

大学時代、mixiを使っていたときに、「寂しがりやの一人好き」というコミュニティがあった。

mixiは、日本のソーシャルネットワークサービスの一つで、公開範囲が「友人の友人」まで決められ、足跡がつき、友人の紹介文と入っているコミュニティと日記の文面から、その人となりを判断する、という仕組みが結構性に合っていた。

コミュニティには、関連の掲示板が沢山あり、その掲示板で同じような趣味嗜好の人たちと交流をする。

そのコミュニティの一つが、「寂しがりやの一人好き」だ。

コミュニティ内で特に誰かと交流したこともなかったが、ただ、語感もよく、僕のページを見たひとに「こういう者です」という紹介文の意味も込め、そのコミュニティに入っていた。

寂しがり屋の一人好き。

一人でいると寂しいという感情が渦巻くのに、その寂しさが誰かと一緒にいることで埋まるわけではなく、むしろ疲弊し、今度は一人がいいと思う。

どうすればいいんだろうね、と少し離れたところから寂しがり屋の一人好きさんと微笑み合う。

“人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。”

これは、萩原朔太郎の詩集の序文にある言葉。序文は、それでも、詩で繋がることができるのだ、という風に結ばれる。

2020.9.16

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