一人暮らしの寂しい夜に」タグアーカイブ

昼頃、LINEで「積もってるよ」と写真が届く。窓を開けると、この辺りは積もっていなかったものの、かすかに雪が舞っていた。

この冬、僕にとっては初めての雪だった。雪はまもなく降り止んだ。

それから夜、再び雪は降り出し、昼間よりも少しだけ勢いを増し、風も強く、道端の草をうっすらと白く覆った。

2019.2.9

0

東京の一人暮らしと孤独

東京の一人暮らしは寂しいと言われる。東京は孤独だ、というのは数多くの曲や映画でも自明のこととして描かれてきた。

僕の「東京」のイメージと合っている音楽はplentyの『東京』、映画だと黒沢清の『トウキョウソナタ』だ。冷たくて、静かで、その静寂のなかにほんのりと悲しみに似た優しさがある。

僕は、故郷の田舎町から大学進学を機に上京して以来、東京での一人暮らし生活を送ってきた。もう結構な年月になる。

もともと家族や田舎の干渉的な空気が窮屈で苦しかったこともあったため、まだ10代だった僕には東京はとても広々として呼吸がしやすかった。

東京は、行き交う人々や建物は多くても、基本的に誰も他人に興味がないから、そのぶんだけ透明になれる。

もちろん、孤独感や不安に襲われたり、たまらなく心細く寂しい夜もあった。

それでも、やはり一人というのは気が楽だし、家の鍵をかけ、布団にもぐって、この世界には今自分一人だけなんだと思うと不思議と安心した。

寂しい気持ちや孤独さには大きく分けて二種類あると僕は思う。一つは、集団のなかの寂しさや孤独、もう一つは、ひとりぼっちの寂しさや孤独。

たぶん、この二つは別々の感情ではなく順序なんだと思う。

まず、集団のなかの寂しさや孤独がある。それは街の雑踏やきらきらしたイルミネーション、いつかの思い出、テレビやSNSの賑やかで愉快な光の世界の「影」として現れる。

眩しさをともなった寂しさになる。

もう一つの孤独や寂しさは、その後に襲来する。静かな暗い穴がすっとこちらを見つめているような心細さに襲われる。

それは光から逃げ帰ったあとの残響のようなものなのかもしれない。

だから、寂しい夜に寂しさを解消しようとして光に手を伸ばすと、余計に苦しく、悪循環にはまることがある。

むしろ、もっと静かな世界に浸ったり、寂しい文学や音楽、映画などに触れているほうが落ち着く。

寂しさは、美しい寂しさと触れ合うと相殺されるように和らいで薄らぐ、という特性を持っている。

確かに、一人暮らしは寂しい。でも、しっかりと「寂しい」に触れられる静けさと出会えるのもまた、一人暮らしのよさだと思う。

2019.1.4

0

迷路みたいな街

ときどき、この街は迷路みたいだなと思う。

もう五年以上住んでいるのに、今でも一本道を横に入ると迷子になりそうになる。

のっぺりとして入り組んだ、この街の平面的な風景は、どこか子供の頃に経験した迷路に似ているような気がした。

2019.1.3

0

平成最後の大晦日

色々な場所で「平成最後」が踊った今年、大晦日がもっとも「平成最後」という言葉がしっくりくる。

この一年は、個人的にはそれほど悪い年じゃなかったと思う。苦しいこともありながら、でも、確かな一歩も踏み出せた。

遠くに揺れるおぼろげな旗に向かって、ゆっくりとでも歩んでいけたらいいなと思う。

ポルノグラフィティの昔の曲に『ダイアリー 2000/08/26』という曲がある。『サボテン』のカップリング曲。

この曲が好きで、ときどきよく聴く(“ときどきよく聴く”ことが多いというタイプの好きな曲)。

大人になっていくことの悲しみを歌った歌。

「大事な守るべき何かなくしていたら、そっと教えて」

「汚れた手でギターを触っていないかな?」

「たった一つの音にさえ真実があるんだよ。それを追いかけてここまで来たんだけど、僕のはどうかな?」

その“ときどき”がちょうど今日で、この曲を繰り返し聴きながら歩いていたら、なんだか無性に感傷的な気分になった。

 

 

おつかれさま。
また来年。

2018.12.31

0

バスケ部の応援歌

バスケのウインターカップの映像を見ていたら、「応援歌」と言うんだろうか、バスケ部の応援の音が無性に懐かしくなった。

僕も子供の頃はバスケ部に入っていた。ベンチにいたときには試合中ペットボトルをぽこぽこと叩いて応援し、試合に出ているときには仲間の応援歌に気分が盛り上がった。

応援のバリエーションもたくさんあった。

たとえば試合開始のジャンプボールのとき(「飛べっ飛べっ飛べっ、飛べ飛べ高く」)、誰かが得点を決めたとき(「ナイッシュー、いいぞ、いいぞ、◯◯」)、相手からファウルを受けたとき(「いて、いて、いてててて」)、前後半の残り三分くらいになると始まる歌(「燃えろ、燃えろ、燃えろ◯◯」)もあった。

応援で使うアイテムも、空のペットボトルやメガホンの他、太鼓をテンポよく叩き鳴らす学校もあった。

楽器の類は使わず、足踏みと手拍子で「ズンズンチャッ、ズンズンチャッ」と音を鳴らすNBA風の応援もかっこよかった。

どうやらあれはQueenの『We Will Rock You』だったようだ。歌の部分がなかったので知らなかった。バッシュで床を踏み鳴らし、重低音が響いた。

体育館という限られた空間なので、音もよく響くのだと思う。

応援歌だけでなく、キュッキュッというバッシュの音や、ドリブルのときにボールが地面をつく音、シュートの際に外れてリングに弾かれる音、あるいはネットに吸い込まれる音、一瞬訪れる静寂、こうした音のメリハリやリズムが、バスケを音楽的なスポーツにする。

部員の数は学校や地域によっても全然違うので、名門や強豪と呼ばれるチームは物凄い数の部員たちの熱い想いが体育館を覆い尽くす。

印象深かったのは、県大会のベスト4をかけた試合で、ベスト4の常連校と対戦したときのこと。

僕たちの学校はベンチに部員が全員入っていたのに対し、相手の学校はベンチ外の選手が大勢二階席に溢れかえり、太鼓とメガホンと野太い声の応援が覆いかぶさるように降ってきた。

これが強豪校だ。常連校だ。思わずこわばった笑みが零れる。体格差や実力差以上に、僕たちは応援に飲み込まれた。

試合中のことはほとんど覚えていない。試合開始のときに突然鳴り響いた応援歌に空気が震えた、あの瞬間だけが鮮明に記憶に残っている。

ウインターカップの応援の様子を見て、ふとそんなことを思い出した。

2018.12.28

0